May 07, 2010

海外ホテルは日本と同じようにできないので要注意

先進国以外の国に旅行に行っていますか?私はいくつかの東欧諸国に旅することができます。まだ少し、先進国とは言いにくい国です。もちろん、ヨーロッパなので、街は美しいし、ホテルもとても素敵です。でも、その海外のホテルで心ゆくまで停電でも水が出ないのもの憂き目にあいました。海外ホテルは日本と同じわけにはいかないので、大切ですよ
新婚旅行、結婚2年ぶりにいよいよ出発です。海外旅行はやはり専門の旅行会社にお願いするのが一番だと思っていたのですが、個人的に予約したほうがはるかに簡単でした。海外ホテル専門に扱っている日本語サイトがあるので、好みのホテルを検索予約するだけです。実際にとどまっている海外のホテル最高でした。さらに、格安宿泊したので、はっきりしていません。旅行会社はそれなりにマージンを受けているのですね。
【ぶらり東海ナビ】

 中央アルプス最南端の岐阜、長野両県にまたがる恵那山(2191メートル)をシンボルとする山里の小さな町に、大正時代をほうふつさせる洋風の建物や風雪を経た土蔵などが並ぶ。岐阜県恵那市明智町の日本大正村。大正の心と郷愁をこの地にとどめようと、27年前に町ぐるみで“立村”した。村長は、恵那市などで映画のロケを行った縁で就任した女優の司葉子さん。今年は「大正百年」の節目で、31日には大正百年改元記念式も開催。年間約50万人もの観光客が訪れたブームは去ったが、「大正のよさを今に伝えたい」と司さんはじめ関係者は意気込んでいる。(中部総局 山根忠幸)

 ■大正のメッカ

 「大正は、明治と昭和の大きな時代にはさまれ、見捨てられている気がしてならない」と嘆く司さん。大正デモクラシーや大正ロマンなど、大正は政治や産業、文化で重要な場面を演出した時代だが、15年と短かった。それでも司さんは「映画など代表的な企業、多くの童謡も誕生し、日本の基礎が凝縮された時代でした」と指摘する。

 東美濃地方(岐阜県南東部)の高原地帯にある大正村の玄関口は、第三セクター明知鉄道の終着駅「明智駅」。ホーム上空を、ホトトギスが鳴きながら渡るひなびた駅だ。恵那駅から延びる約25キロのミニローカル線で、昭和60年に旧国鉄・明知線を引き継いだ。

 今春からは、ユニークな「急行大正ロマン号」の運行を開始した。落ち込んだ観光客の呼び戻しが狙いだ。4駅しか止まらない急行だが、所要時間は全11駅の各駅停車とほぼ同じ約50分。当然、急行料金はとらない。「車内で昼食を楽しみ、のんびりと沿線風景を愛でながら大正村を訪れ、歩いて大正を感じてもらう趣向」と運転士の竹内成志朗さん(44)。月曜を除く毎日1往復し、予約があれば客車に食堂車を連結して運行している。

 大正村設立のきっかけは昭和58年、当時の明智町(平成16年、新設合併で恵那市)で起きた官民一体のまちづくり運動だった。背景には、目前に迫った明知線の廃止があった。大正村構想の浮上に当初、「宇宙時代に大正は古い。世間の物笑いになる」と町民の反応は冷ややかで、武将の明智光秀ゆかりの地を生かす案など議論百出だったが、「大正の生活文化、思いやりの心がベースの日本人みんなの大正村。大正をしのぶメッカとなることが究極の目標」との理念を掲げて翌年、立村した。

 山あいの町に、施設整備の十分な財政力があるはずもないが、「ここは、人集めの遊園地やテーマパークではない。町中心部一帯の大正などの建物や街道、人情を合わせて大正村」と当時の町助役で、大正村理事長の平林典三さん(80)は力を込める。「大正時代の生活は貧しかったけど、バイタリティーがあった。百年を機に国民が再認識し、村を訪れてほしい」という。

 ■大正の心

 街並みを見下ろす高台に、白亜の洋風建築「大正ロマン館」がある。立村10周年記念で17年前に完成した。西洋のオルゴールやアコーディオン、大型の振り子時計などが展示され、華やかな大正の雰囲気に包まれている。これまでに収集した資料は、蓄音機をはじめ木製やブリキの玩具、教科書など約6万点。ロマン館のほか、銀行の蔵を利用した資料館などでも、計約3000点を紹介している。「大半が大正村に共鳴し全国から寄せられた資料。後世にどう引き継ぐかが課題です」と大正村文化部長の阿部薫さん(72)。電子データに記録し、将来は貸し出すことで役立てたいという。

 明智町は江戸時代、飛騨(岐阜県北部)と三河(愛知県東部)を結ぶ南北街道、信濃(長野県)と尾張(愛知県西部)をつなぐ中馬街道が交差する街道の町として繁栄。明治、大正時代には、養蚕と製糸工場で栄えたが、その後は基幹産業に恵まれず、昭和の近代化に乗り遅れた形となった。これが逆に江戸から大正を物語る多くの文化遺産を残し、大正村の風情を醸し出すこととなった。各地で消えゆく“大正のふるさと”たる由縁だ。

 大正は至る所にある。資料館の銀行蔵は明治42年の建築で、カイコのまゆを保存するための厚い土蔵造りだ。まちづくりの拠点となる大正村役場は、同39年に完成した旧町役場の木造洋館。ほかにも、大正にモダン様式に改修した旧郵便局の逓信記念館など村の建物は多彩だ。

 また、街並みを縫って小さな用水が清らかな水を運んでいるが、「実はこれも養蚕が盛んであった証です」と大正村副理事長の鵜飼茂喜さん(69)。多くの住民が、水を引き込んだ庭先の池でコイを養殖。えさは、豊富にあったカイコのまゆをとったさなぎで、養蚕がコイ養殖を可能としていた住民の暮らしをしのばせるという。

 一方、駅近くには通称「大正路地」がある。黒板壁の土蔵が並び、大正を色濃く漂わせる観光スポットだ。所有のみそ蔵で料理店「味蔵」を経営するIT会社社長の橋本典明さん(62)は「大正村は観光地ではない。若い人に大正を継承する場所」と熱く語る。店がオープンした15年前は毎日営業していたが、現在は観光客減で期間限定の日曜のみ店を開いている。「古老には節電の知恵がいっぱいある。村を訪れて触れ合ってほしい」と橋本さんは話す。

 ■大正に学ぶ

 大正村の観光客は近年、年間20万人を切った。6月の高速上限1000円の廃止が、これに追い打ちを掛けたという。駐車場担当の高柳茂努一郎さん(64)は「主流の関東地方の車が姿を消し、静岡など近県だけとなった」と寂しがる。

 恵那市も、何とか観光客減を食い止めようとさまざまな手を打ってきた。現在、駅舎を改修してギャラリーなどを設置する工事や、特産品販売の洋風の館「浪漫亭」前でイベント交流広場の整備を進めている。秋には、大正ロマンの代名詞ともいえる竹久夢二の作品を一堂に集めた初の企画展を開催。また、「大正百年まちづくり交流会」も、初めて開催する。大正をキーワードとした大正筋商店街(神戸市)や与野銀座商店街(さいたま市)など4団体と、地域振興について活発な議論を交わす予定。「話題性だけのブームの時代は終わった。各地の大正ゆかりの団体と協力し、大正をいかに残し、現代に生かすかのテーマで取り組む」と市観光交流室長の小川智明さん(52)は話す。

 文明開化の明治から、大衆文化が花開いた大正。司さんは「温故知新です。明治は大正の人が、大正は昭和、平成の人が守り、日本全体で振り返ることが使命」としたうえで、「東日本大震災で苦しむ現在は、大正時代と似ている。関東大震災(大正12年)でも、国民は立派に立ち上がった。そこにも学ぶことがある」と強調する。

 ■日本大正村 明智駅の東側に広がる街並み一帯を指す。初代村長は、女優の故高峰三枝子さん。司さんは12年前、2代目村長に就任。出演した映画「青い山脈」(昭和32年封切り)のロケが恵那市などで行われた縁で白羽の矢が立った。

 主な施設は、大正ロマン館や大正村資料館、おもちゃ資料館、大正天皇に関する大正時代館。入館料は4館共通で大人500円、小中学生300円。ほかに明治の洋館を活用した大正村役場、逓信資料館などがある。古い土蔵が並ぶ大正路地は観光スポット。

 31日の大正百年改元記念式は明智かえでホールで開き、町民らがちょうちん行列で祝う。

 交通アクセスは、鉄道はJR名古屋駅から中央線の恵那駅で明知鉄道に乗り換え、約1時間50分。車は、名古屋から高速利用で約1時間40分。問い合わせは大正村役場((電)0573・54・3944)。

【関連記事】
「美しすぎるジュリア・ロバーツ」掲載禁止
リアル電車でGO!島根・雲州平田駅「デハニ50形」
旧居留地の顔、老舗ブランド店が撤退
さようなら本郷館 106年の歴史に幕
【逍遥の児】金子みすゞの故郷を歩く
W杯制覇「なでしこ」 ロンドン五輪に向けた課題を探る
Posted at 03:32 in Product | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.