Jul 20, 2010
私の中で海外ホテルをイメージ
海外ホテルのイメージで、まず頭に浮かぶのは"汚い""危険"ではないでしょうか。数年前、友人がバックパック一つ東南アジアの国に遊びに行ったとき、すぐに"汚い""危険"に該当するようなホテルに滞在していたそうです。その時の友人の話があまりにも衝撃的で、ちょうど私の海外ホテルをイメージになってしまいました。現在はそのようなホテルも少しは良くなっているそうです。新婚旅行、結婚2年ぶりにいよいよ出発です。海外旅行はやはり専門の旅行会社にお願いするのが一番だと思っていたのですが、個人的に予約したほうがはるかに簡単でした。海外ホテル専門に扱っている日本語サイトがあるので、好みのホテルを検索予約するだけです。実際にとどまっている海外のホテル最高でした。さらに、格安宿泊したので、はっきりしていません。旅行会社はそれなりにマージンを受けているのですね。
◆大相撲名古屋場所10日目 ○琴欧洲(押し出し)魁皇●(19日・愛知県体育館) 大関・魁皇が名古屋場所10日目の19日、引退を決めた。大関・琴欧洲に押し出され7敗目を喫した打ち出し後に名古屋市緑区の部屋で師匠の友綱親方に引退の意思を伝え、師匠が発表した。若貴兄弟、曙と同期の88年春に入門。持ち前の怪力を武器に大関に昇進し5回の優勝を飾る一方、度重なるけがと懸命に闘った24年の力士人生。今場所で新記録を達成した通算最多の1047勝を花道に土俵を去る。今後は年寄「浅香山」を襲名し友綱部屋付きの親方として後進の指導を務める。
ついに魁皇が土俵を去る。琴欧洲に完敗した打ち出し後。部屋に戻り友綱親方に引退の意思を伝えた。「師匠と話をしました。あとは師匠から全部、聞いて下さい」。代わって師匠が「本人からの意向で引退と聞きました」と発表。正式には20日に協会に引退届を提出。名古屋市内で会見を開き心境を明かす。
88年夏場所2日目から数えて1731回目の出場となった最後の一番。琴欧洲の突っ張りになすすべなく後退し土俵下に落ちた。「防戦一方で思った相撲が取れない。まぁしょうがない」。9秒1の惨敗に悔しさはない。この瞬間に引退を決断したのだろう。力ない笑みは土俵で戦う力士の顔ではなかった。
若貴、曙と同期の88年春に入門。優勝5回の栄光の影で最後に賜杯を抱いた04年秋以降はけがの連続で常に進退と背中合わせの土俵を務めてきた。歴代1位を誇る幕内在位107場所の今場所はまさにその集大成だった。
友綱親方が引退までの舞台裏を明かす。「本人は春場所が中止になった時点で気持ちは切れていた」。八百長問題で春場所が中止。本場所に向け稽古を続けてきた気力が消え体重は9キロも減った。なえた気力を奮い立たせたのが4月21、22日に部屋で行った被災地への慰問だった。「魁皇さんの相撲を見せてください」。被災者から逆に励まされ「もう少し頑張ろうと思った」と師匠は明かす。
糸のように細くなった闘志を奮い立たせ千秋楽には白鵬を破り9勝を挙げた。不滅と言われた千代の富士の通算1045勝にあと1勝に迫っていた。一方で持病の座骨神経痛が悪化の一途だった。下半身のしびれは取れず左足はまひしていた。普通なら休場だったが場所中も連日、奈良まで治療に通いけがと闘った。「目標があったから何とか土俵に立った。思い残すことは何もない。本当によくやった」と親方。1047勝の金字塔の裏側に壮絶な最後の戦いがあった。
引退発表後、魁皇はコメントを出した。
「やっと終わったな、長かったと思う。振り返ればいろんな人に支えられ応援してもらった。そういう人たちがいたからここまでやって来れた。相撲人生は長い。簡単に振り返れないけどすべての人に感謝したい。言葉にできないほど感謝でいっぱい。魁皇としての人生は最高でした」。
やるべきことはすべてやり尽くした。精根尽くした男が残した魂の言葉だった。
◆魁皇 博之(かいおう・ひろゆき)本名・古賀博之。1972年7月24日、福岡県直方市生まれ。38歳。88年春に初土俵。92年初、新十両昇進。93年夏、新入幕。94年夏、新三役昇進。00年夏、初優勝。同年秋に大関に昇進する。優勝5回。三賞は15回(殊勲10回。敢闘5回)。金星6個。通算勝ち星1047勝、幕内在位107場所、幕内出場1444回、幕内勝ち星879勝はいずれも史上1位。家族は充子夫人。身長185センチ、体重164キロ。得意は左四つ、寄り、上手投げ。
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体操男子の04年アテネ五輪団体総合金メダルの塚原直也(34)=朝日生命=が、オーストラリア国籍の取得を前提に、来年のロンドン五輪出場を目指していることが19日、分かった。
塚原はコーチングや語学の勉強のため、09年からブリスベーンに留学。国籍変更の前提となる永住権は取得。全豪選手権では個人総合で3年連続最高得点。オーストラリアの体操関係者も“国内王者”の代表入りに期待。男子団体総合は昨年のロッテルダム世界選手権で18位。現状では、ロンドン五輪(英国を含む12枠)の出場は難しい。そのため、五輪予選を兼ねる東京世界選手権(10月)か最終予選(来年1月、英国)前に国籍を取得することを熱望しているという。塚原本人も「(団体で五輪に)行けるか、行けないかぎりぎりのライン。今の(自身の競技)レベルで役に立てることはないか」と前向きに考えている。
◆塚原 直也(つかはら・なおや)1977年6月25日、長崎県生まれ。34歳。68年メキシコ市など五輪3大会団体総合金の父・光男氏と68年五輪代表の母・千恵子氏の影響で11歳から体操を始める。96年から全日本選手権5連覇。五輪は96年アトランタ、00年シドニー、04年アテネと3大会連続で出場し、アテネで団体総合金メダルを獲得。166、63キロ
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